続・論理プロレス論考

観戦の感想、レスラー個々、そしてプロレスを見る私と、様々な角度からあれこれプロレスを語りたいブログ

試合から滲むもの

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今日は大阪で新日本プロレスの大きな大会があった。
 
私は家で新日本ワールドで見ている最中なのだけど、メインを見る前にすでに書くことが満載である。
 
なんとなれば柴田と永田の試合があったから。
 
この試合にこそプロレスらしさが溢れていて、素晴らしかったですね。
 
この試合はNeverのベルトをかけた試合になり、逆指名とはいえリベンジマッチとなったわけだ。
 
前回の試合後すぐに決まったため賛否はあったけど、ある意味ではこれが新日本プロレスを象徴していると言える。
 
 
試合の内容自体は見てもらうのが一番早いわけだが、彼ららしい激しい肉体と気持ちのぶつかり合う旧時代的なプロレスだったけど、いやよかったのよほんと。
 
柴田のスタイルは好き嫌いが分かれるだろうし、純プロレスではない分こちらも賛否があるけど、それでも柴田は支持されている。
 
その理由は何より気持ちが見えるし、柴田の試合には何か必ずドラマがつきまとう。
 
意図している部分とそうでない部分が微妙な具合に混ざっている分、余計にそれがヒシヒシとある種のリアリティを持って迫ってくるのである。
 
 
柴田がNeverを取って以来、一つのテーマとして第3世代との闘争があった。
 
第3世代とは永田、小島、天山世代で、その上には三銃士がいて、その下には中邑、棚橋がいた。
 
いい時期も悪い時期も両方経験しており、まさにプロレスが格闘技の一般化によってどん底に入ったまさにその瞬間にど真ん中にいた世代である。
 
当時小島は武藤とともに全日本にいて、その最中にはいなかったが、当時IWGPチャンピオンだった天山とは両国でダブルタイトルマッチを行っており、史上初の4冠王者になっていた。
 
それでも大して話題にもならなかったし、永田にいたってはベルト戦線からは遠ざかっていて、ノアなんかによく出場していた。
 
中西もそれなりの立ち位置にはいたが、突き抜けることもなく中堅でしかなかった。
 
 
ぶっちゃけ中西はともかくとして、天山は当時何度も生で見たけどすごかったし、小島も永田もずっとよかった。
 
それでも新日本で団体が推したのは若い連中で、彼らは結局踏み台にされてしまったのだ。
 
それを永田自身が自嘲的に「俺は踏み台じゃねぇ」なんていうTシャツも作っていたりして、彼は一貫してプロレスラーとしてあがいていた。
 
若手の中では柴田もまだ新日本にいて、在し頃の星野さん率いる魔界倶楽部の一員として、村上、安田らと行動を共にしていた。
 
当時ヒールユニットだったが、その中でも柴田はヒールになりきれず、真正面から永田に喧嘩を売っていたものだ。
 
 
その後袂を別ったわけであるが、新日本に戻って柴田が見た景色は棚橋、中邑、オカダを中心とするリングで、第3世代は序盤の試合で、下手をすれば第0試合で前座である。
 
私も久しぶりに見たときに、彼らがそんなポジションなのに驚いた。
 
動きもいいし、怪我なんかで多少の不具合はあってもコンディションは良かった感じだし。
 
それでもどこか割り切ったような彼らの試合は、やっぱりちょっと寂しい思いがしたものだ。
 
私がプロレスを懸命に見るようになったときに中心にいたのは彼らだったし、小島にはサインももらったよ。
 
柴田もそんな状況をどこか歯がゆく思っていたのだろう。
 
そこでベルトを持って彼らと真正面から思いきりぶつかることで何かを示そうをしたんじゃないかな。
 
別にそれで救ってやるとか、そういう上から目線の考えは一切なかった筈である。
 
ただ純粋に、もっとこの人たちはすごいはずなんだ、それを見せてくれよ、みたいな気持ちだったんじゃないかな。
 
 
今回は柴田がリベンジを果たし、状況的には第3世代との闘争はこれで終わり、という感じであった。
 
試合後永田始めセコンドについた全員に一礼してリングを降りる柴田の姿は、単に超えていなかった壁を超えて素直に感謝、みたいな気持ち以上にある種のやるせなさみたいなものもあったように感じた。
 
柴田の立場からしてみれば、所属になって会社に推される立場になるので悪い話ではないが、少なくとも新日本はどれだけコンディションが良くても彼ら第3世代は選ばれず、今後の動きが見えない状況になってしまった。
 
あまりに性急な展開だったので、これはひょっとしたら何か裏側であったのかな、なんて余計な勘繰りもしたくなってしまうが、柴田はその状況が歯がゆくて、この一連を戦っていたのかなという気もする。
 
 
私は最近またプロレスを観るけど、正直タッグの試合はジュニア、ヘヴィともに見ていられない。
 
確かにトリッキーで単純にすごいと思うところもあるけど、やっていることは数年前からドラゴンゲートがずっとやっていることに過ぎない。
 
あとはどれだけすごい動きをする選手がいるか、みたいな視点担ってしまっていて、要するにあれはサーカスであって私にはプロレスとは思えない。
 
選手はすごいよ、すごいのは間違いない。
 
だけど、重要なことはそんなトリックではなくて試合を助けて見えて来る生き様なんだよね。
 
それこそ今のジュニアチャンピオンのKUSHIDAについては、以前地味なやつだくらいにしか思っていなかったけど、今は本当にいいチャンピオンになったと思う。
 
彼はこれだけ飛び技の跋扈するジュニアの中で、決め技は関節技なのである。
 
そこに彼の矜持というか、そういうものを感じるわけだ。
 
 
プロレスはスポーツでありながら他のスポーツとはそのあり方が違っている。
 
それが批判の対象にもなってきたというのはあるけど、だからこそ面白みがあって、スターが生まれるし、年を取ってからその存在だけでみんなが喜んでしまう存在が生まれるわけもそこにある。
 
プロレスは人生だ、なんて言われるように、そういうところがあるから今もこうして新しく支持されているし、なんやかんや人を語らせるのである。
 
柴田は今の時代にあってそんな風に人に語らせる力のあるレスラーだと思う。
 
それをさしてドラマがあるといったり、物語があるといったりするわけだ。
 
今日の試合からはそんなものがものすごく伝わってきて、それだけでも十分に素晴らしい試合だった。
 
 
ちなみにこの記事をあえて新日本カテゴリではなくプロレスについてのところに書いたのは、ここにプロレスの真髄を見たからである。
 
そんな視点で見てみると、またプロレスの見方も変わるし、ずっと面白くなりますよ。