プロレスは戦いのエンターテイメントである。
そこで魅せるのは単に勝敗という結果だけではない。
いかにして勝つか、いかにして負けるか、そのプロセスこそがプロレスの本質でもある。
だからこそ受けの美学という言葉があるし、井上まさおのようなレスラーが人気だったりする。
プロレスは人生だ、というのもまさにそういった側面があるからである。
日本で他の格闘技がブームとして過ぎ去っていった中でプロレスが復権しているのも、その価値観が日本的だったからだと思う。
さて、そんなプロレスなので、レスラーにとっての大きなテーマが「何を魅せるか」であるとともに「どう見せるか」である。
プロレスに限らず表現というものはそこが重要で、それにより何が伝わるかである。
プロレスの場合はそれがスタイルに現れたり、試合の組み立て方に現れたり、分かりやすくキャラクタに現れたり、マイクパフォーマンスに現れたりする。
それぞれに共感できる先をファンは見つけてはそれを応援するわけだ。
私は柴田勝頼とKENTAというレスラーが好きなのだけど、彼らの反骨心みたいなものとか、他に染まらない存在感とか、そういった部分が好きなんですね。
KENTA、いまはヒデオだが、早く復帰してほしいところだ。
それはともかく、そんな視点でみるとなんやかんやいいレスラーだなと思うのはご存知永田裕志である。
私がプロレスを見始めたちょうどその少し前まではミスターIWGPと呼ばれていて、新日本の中心的存在であったが、その後棚橋らの台頭により存在感を常に脅かされながら、NOAHの秋山と越境タッグを組んだり、踏み台Tシャツをつくったりと、常に自分から発信していくことのできるレスラーである。
第3世代の中でもそのあり方は明らかに違うだろう。
小島、天山らは新日本の古参のファンには人気だろうけど、新規の人からしたらテレビで見たことがある、程度ではないだろうか。
それに対して、永田についてはちゃんと試合を通して認知されているはずである。
ゼアッ!という掛け声もすっかり浸透しているし、敬礼ポーズもみんなご存知だ。
ちなみにこの敬礼ポーズ、元を正すと敬礼ではなくて会場を見渡すようにかざしたはずが、敬礼と取られたためそうした、という経緯があるらしい。
そして今や何と言って彼の代名詞となったのは白目である。
そう、白目なのである。
見ている人でなければさっぱり意味がわからないだろう。
冒頭の画像がまさにそれである。
この白目が出るのは、いわゆるアームバーの状態で、相手を締め上げる際に力を込めると反射的に出てしまうまさに鬼の永田の状態である。
これが伝える力だ。
力みすぎてつい白目がち、てか白目担ってしまう、それほど鬼気迫る表現が他にあろうか。
この白目状態が始めて降臨したのは、ライバル・鈴木みのるとの因縁のシングルの時だったと記憶している。
それまでもずっとばちばちとやりあっていた2人だが、ついに決着のシングルと組まれたこの試合、流血混じりの激しい試合になった。
その中で先のアームバーを永田が仕掛けたときに、永田の顔は鬼気迫っていた。
流血も相まってまさに鬼の永田状態の顔がカメラにも映される。
お、おい、まさかおっちまう気か?あのみのるの腕を?会場の誰もが息を飲む緊張感あふれる試合展開だ。
そんな鈴木みのるをグラウンドで仕留めるのか!というのがファンの中でもしびれるわけだが、それ以上のしびれがこの後訪れる。
なんと、鬼気迫る永田が勢い余って、なんと白目になってしまったのだ。
そりゃ笑うぜ。
だって意味がわからない。
これだけ緊迫した中で、永田が選んだのは白目である。
白目って・・・。
確かに地獄絵図や、狂言?とかの鬼は白目でそれがいかにも恐ろしいのだけど、現実にこれをやってしまうとこうなるのか、というのが衝撃である。
これ以来、彼は鬼の表現として白目を取り入れているのだけど、今ではネタになってしまった。
彼がアームバーの体制に入ると、白目コールが起こるほどに浸透している。
果たしてこれが彼の望んだ姿なのかはわからないが、ともあれ楽しそうだし、未だ存在感をしっかり示しているのだから正解だったのだろう。
とはいえ、さすがに先の柴田とのNEVERではそもそもアームバーを使わなかった。
その体制に入りかけたが、会場からの白目コールを受けて技に入らなかったところに、彼のプロレスラーとしての資質を見たよね。
それだけ考えている、という意味である。
だから永田裕志は面白いのだ。
これからもぜひ、頑張ってほしいレスラーだよね。