続・論理プロレス論考

観戦の感想、レスラー個々、そしてプロレスを見る私と、様々な角度からあれこれプロレスを語りたいブログ

もがく人

週刊プロレスで隔週連載している中野たむのコラムで、今週はスターライト・キッドについて書いていたのだけど、共感的に感じたところもあったので少し触れてみようと。

 

このコラムでは以前にもMIRAIを取り上げており、その時は当時W王者だったので、白のベルトの前段階で書いていたのだが、ファン目線ではなかなか的を射たことを書いていると思ったのだけど、それをプロレスラーの目線で書いているのが面白い。

 

プロレスというのは、ある意味難しい競技だと思っていて、フィジカルなパフォーマンスは大前提としながらもそれだけでは観客は喜ばない。

 

そこにある種演劇的な要素が加わる場合もあるし、凶器を使ってみたりアクロバティックをしてみたりと、言って仕舞えばなんでもありだ。

 

プロスポーツの中でもエンタメ要素が最も強いし、まあ、これ以上は一旦置いておくとして、いずれにせよレスラーは何を表現するかがとても重要だ。

 

中野たむは宇宙一かわいいを自称してぶりっ子キャラを貫いているが、なかなかどうして本質はぶち抜けたメンヘラみたいなマインドなので、毎回ドロドロのボコボコになっている。

 

文字通り身を削るような試合は、いつの間にか団体でもトップの位置を得るようになった。

 

それこそコズエンを組み始めた当時は、正直私は好きじゃなかったし、みていて痛々しいなと思っていたけど、今は全然見方は違っているからな。

 

そのことを敢えて以前書いてみたが。

back-to-motif-2nd.hatenablog.com

つまるところ覚悟の違いというのがよく表れているんだと思う。

 

NewBloodでの石川奈青との試合でもそれがよく出ており、中野たむここにあり、という感じであった。

 

 

さて、一方のきっちゃんことスターライト・キッド、スターダムの生え抜きで、キッズレスラーとして早くからデビューしており、年齢の割にすでにキャリアは10年くらいだろう。

 

AZMとは双方ともにライバルと言っているが、まさに同期で苦楽をともにしている仲だろう。

 

元々は超ベビーフェイスで、岩谷の妹的なポジションだったが、数年前にユニット強制移動でヒールターン、今はすっかり黒いコスチュームも板についている。

 

レスラーとしての実力もさすがで、技も綺麗だし正確、動きもいいし技のバリエーションも多く、入場から華もあり小さい体ながらにそれを補ってあまりある運動量で、受けもできるからレスラーとしての素質は極めて高い。

 

最近では地上波含めて露出も多く、またマスクレスラーなのにSNSでは外した姿もフルではないにせよまあまあ晒しているので、そうした面も支持されて人気レスラーである。

 

何せマスクレスラーなのに写真集も出して、グッズの売り上げもトップクラスだとか。

 

 

しかし、私は個人的にはなんだか惜しいなとみていていつも思う。

 

ヒールになってから一生懸命ヒールっぽい言動をしているが、根の真面目さがどうしても滲み出ているように感じる。

 

というか、ヒールってこういうもの、という感じが出てしまっている。

 

なので、真面目というよりは勉強熱心なのかもしれないが、いずれにせよ言ってしまえば突き抜けないのだ

 

たむのコラムでもこの辺りを彼女の目線で書いている。

 

実際タッグではベルトをちょいちょい取っているけど、いまいち話題になりきれない。

 

言い方は悪いが、タレント的な活躍は著しいがレスラーとしては停滞している感じ。

 

先にも書いたけど、動きはいいし、体は小さいとは言えそれが圧倒的ハンデになっているわけでもない。

 

かつてのノアに見られたサラリーマンレスラーみたいな感じでもなくて、彼女なりに必死になっているのは伝わってくる。

 

でもなぜか彼女がシングルチャンピオンになって団体を引っ張っていくイメージが持てないのだ。

 

ちなみに、私はAZMについてはもはやスターダムだけで試合をやっているレベルの選手ではないと思っているし、そろそろシングルチャンピオンになって欲しいと本当に思っている。

 

単純な技術だけで言えば二人に大きな差があるわけではないのかもしれないが、でもプロレスラーとしてのレベルは差ができてしまっていると思っている。

 

それってなんだろうというと難しんだけど、一つは軸がどこにあるのか、ということかなという気もする。

 

これは勝手に私が思っていることなので、実際はどうかわからないが、AZMにせよたむにせよジュリアにせよ、トップどころの選手はレスラーとしての在り方みたいなものが内側から出てきているように感じる。

 

一方のスタラキは、その軸が別のところを参照しているような、そんなイメージ。

 

平たくえいば、憧れる誰かモデルがいて、その背中を追いかけているような感じか。

 

それ自体は悪いことではないのだけど、特にプロレスみたいな世界では、誰かになりたい人よりも、まさのその誰かである人にこそ惹かれるものだ。

 

私のプロレスを見る目線が、その選手の人生とか価値観とか、そういうものがどれだけ滲み出ているか、それを感じられるかが大事と思っているのだけど、それがなかなか見えない。

 

まあでも、そうしてもがいているからこそ支持される場合もあるから、これが正解というものではないのだろうが、ただ本人がどうありたいかだし、何が支持されるかは結果論なので、狙うとまたそれも違うからな。。。

 

 

ただ、これって我々のような一般社会と呼ばれる界隈にも結構あって、仕事もできるし人間性もナイス、みんなから信頼もされているし実際に結果も出しているんだけど、意外とそこまで評価されていないとか、何かあった時に一番に名前が出てこないとか、そういう人って少なくない。

 

その人は落ち度みたいなものは何もないし、努力もできるし、本当にいいやつだったりするけど、それとは別の軸で何かが違うのだ。

 

これって言語化も難しいんだけど、いずれにせよ突き抜けていくある種の天才と秀才の差なんだと思う。

 

私もどちらかと言えば秀才タイプの人間なので、そう感じる瞬間はたくさんあったしね。

 

 

ともあれスターライト・キッドだ。

 

たむも暗にコズエンへの勧誘をしているが、多分ヒールがどこまでいってもキャラにしかできないから、キッドに取ってはそろそろその枠組みが厳しくなっているのではないだろうか。

 

それこそ刀羅ナツコが本当の意味でヒールを極めていくという中で、対比的にも厳しい。

 

ある意味渡辺桃の方が粛々とやっている印象もあるので、無理が見えない。

 

まあ、個人的には実力は団体トップクラスだと思っているので、桃にはもう少し、マジで実力でトップに上がって、それこそ杉浦貴みたいな存在になって欲しいのだが、この子はこの子でいまいちそういう野心がないみたいなので、口惜しい限りだ。

 

いずれにせよ、コズエンはまたちょっと違うと思うけど、違う枠組みの中でやった方が良いのではないかと勝手ながら思う。

 

努力家で勉強家でもあると思うので、逆に言えばその枠組みがマッチすればトップにぽんっと躍り出る瞬間もあるかもしれない。

 

いうても年齢もまだ若いし、先の大会でレジェンドと絡んだことで割と素直な言葉も出せるんだし、まだまだ伸び代はあるはずだ。

 

なまじ完成している部分もあるから余計に難しくなっているところもあるんだろうけど、ブレークスルーは訪れるはずである。

 

そのきっかけがどう訪れるかだろうな。