先の新日本G1クライマックスでは、いくつかの注目カードがあった。
個人的にはやはり柴田絡みの試合である。
なんと言っても現チャンピオン、オカダカズチカとの試合はその最たるものだろう。
また棚橋との因縁、とまでは言わないが、事情ありのカードもあり、非常にイベントとしては見るべきところ満載であった。
とはいえ、ここでは個々の試合に着いては言及しない。
むしろ、彼等の試合を通してみえてくるプロレス観の違いのようなポイントについて分析できれば、と思う。
一言にプロレスと言っても、価値観などに寄ってまったく異なる様相を呈する。
また、アメリカのプロレスと伝統的な日本のプロレスも異なる。
日本のプロレスでも、かつての新日本とドラゴンゲートも異なるし、全日本でもちょっと違う。
まして大日本に至っては世界有数の異世界と言えるだろう。
何故こうも違うかと言えば、わかりやすく言えば使う技の違いがある。
投げや打撃を多用するのは伝統的な日本的プロレス、飛び技を多用するのはメキシカンスタイルと言われる。
より格闘技的な技を主体にするのはUスタイルなどと呼ばれたりもする。
そのどん欲さ故に、かつては世界最先端と呼ばれたそうだ。
そしてよりエンタメ的な要素の強いのがルチャリブレ。
メキシコではプロレスは伝統的な家族で見る娯楽なんですね。
そこでは善と悪が明確に別れており、悪役レスラーをルードなどと呼んでいる。
そういうわかりやすさはアメプロや日本のプロレスでも取り入れられてるだろう。
わかりやすい物語の構築には取り入れやすい設定だしね。
そんなこんなで今はより多様化しているが、大きくは①伝統的なプロレス、②格闘技路線、③メキシコ的なエンタメ路線、④アメプロ的なエンタメ路線、といったところか。
それぞれ魅せるべき内容としては、①根性路線、②格闘技的勝負論、③派手さ、④試合と前後の不脈含めた物語のパッケージ、と言ったところだろう。
団体で言うなら、①はノア、全日本、ゼロワンあたりだろう。
②については今はかなり希少で、それを押し出している団体はないように思う。
③でいえば、ドラゴンゲート、みちのく、大阪プロなどだろうか。
元々みちプロから分化した連中が立ち上げて草の根的な団体運営を行っているのが特徴と言えるかもしれない。
で、G1の話に戻るが、柴田は明らかな②タイプのレスラーである。
一方でオカダ、棚橋は④タイプである。
この絡みがどうなるかが興味深かった訳である。
格闘技色の濃い柴田の場合、試合で魅せるものは全力でのぶつかり合い、己の限界といったところである。
見るからに痛そうな打撃をバコバコぶち込んで、もちろん自分もぶち込まれて、それこそ意地のぶつかり合いの様相を呈する場合が多い。
方や棚橋やオカダはフィニッシュに至る流れを重視するタイプなので、ある意味非常にプロレス的なプロレスを好むと言える。
WWEの成功を見ても、この手のパッケージが出来上がると非常に強いのは確かだ。
場当たり的な魅せ方では身に付かないし、ある程度フィニッシュホールドなどを浸透させるにも時間がかかるため、馬鹿では出来ないし、センスもいる。
そういう意味で、新日本の2人はある程度以上完成された存在だし、その2人がいる事は新日本にとって強みだろう。
で、ある意味ではそんな2人に取ってはクラッシャー的な存在である柴田との試合だったのだが、結論から言えばどちらも引き立つ事になった。
オカダは自分のフィニッシュまでの流れを貫いたし、棚橋はいかにもプロレスらしい結末で勝ってみせた。
柴田の攻撃をしっかり受けた上での決着なので、ファンも納得だろう。
ただ、試合展開として序盤で柴田が攻めたおして逆転するという展開になったため、ある意味では2人は柴田をうまく使った試合だったと思う。
柴田自身がもっと光るのは、同じようにバチバチと来る相手の場合だから、この試合では柴田よりも2人の評価がぐっと上がったに違いない。
そういう意味では、相手を選ぶスタイルというのもある訳で、プロレスラーとしての強さで言えば、柴田よりも2人の方が上だったと言えるかもしれない。
元々近いスタイルだったノアのKENTAは、最近色んなスタイルの選手と戦っても勝てる選手になっているので、同じ系統でもやはりレベル的な違いが出るのは面白いところである。
結局どういうスタイルを選ぶかは、各選手のプロレス観に寄る。
プロレスとは何を魅せるのか、という部分ね。
そこは完全に哲学とか、人生論的な部分のため、そこを見て行くと各選手への見方も変わるだろう。
単に試合の結果だけでなく、もっとレスラーに対するマクロな視点を持つと、より格闘技との違いも出て面白いのである。