続・論理プロレス論考

観戦の感想、レスラー個々、そしてプロレスを見る私と、様々な角度からあれこれプロレスを語りたいブログ

危険技=すごいではないと思う話

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少し時間が経ってしまったが、先月の新日本プロレス両国国技館で行われたIWGPヘヴィの試合、オカダvs柴田というファンの期待値も高い試合だったのだけど、この試合後チャレンジャーの柴田が病院へ搬送され、そのまま手術、現在も入院しており復帰云々も言及できない状態になってしまっている。
 
ブログなんかは更新されて、力強い文章を展開していたものの、かなりの重症で生きていることも奇跡と言われたとか。
 
ファンとしてはショックだったけど、とりあえず生きていてくれてよかった。
 
3月には本間も試合中に頚椎だったと思うけど怪我をして、現在もリハビリ中だ。
 
新日本ではないけど、昨日は高山も試合中の怪我で長期欠場になったというニュースもはいってきたし。
 
ここ数年かなりの勢いで成長して来た新日本にあって、人気選手の相次ぐ大怪我に世間でも技や激しい試合の是非について議論が一部で展開されていた。
 
そもそも危なすぎるとか、危険な技だからやっちゃダメとか、おそらく新しいファン層を中心にそういいった論調が多いのかなという気がした。
 
 
今回の件に限らず、昔からリング上での事故は少なからずあったし、実際にそれで命を落とした選手もいる。
 
大なり小なり選手は怪我を抱えている場合も多いし、プロレスが格闘技である以上それは当たり前なのである。
 
この頃はショーアップされたWWE的な見せ方の試合が増えていく中で、結局最後はもっと激しいものを、もっと過激なものを求めてしまうファンのオーダーや、さらに話題になるためにすごいことをしてやろうというレスラー側の気持ちも相乗効果的にそういう流れになって言ったのだろう、実際そこまでしなくていいと思う場面は男子女子に限らず多くみられる。
 
そういう過激さは見る側をハラハラさせるし、それを決めた後に悠々と立ち上がるレスラーの姿を見て、シンプルにすごいと思えるのも事実で、それがエンターテイメントとしてここまで大きく受け入れられた一因でもある。
 
だけど、それが行きすぎればやっぱりこういう事態にもなるし、そうすると一気に冷めてしまう人もいるだろう。
 
そこのさじ加減は難しいけど、「プロレスラーは超人なんです」という発言をあえてする選手も出てくるのは、やはりそこへの信頼で成り立っている側面もあるということだ。
 
だから、若い選手が技にばかり走るのを見ると本当に怖いと感じることが多い。
 
特に女子にその傾向は強い。
 
 
大技は目立つし、派手だし、誰が見てもすごいと思えるから選手も当然やりたいだろう。
 
わっと盛り上がる様は気持ちいいと思うし、それがモチベーションだと思うから。
 
だけど、個人的には場外でマットじゃないところでのダイビング技や、場外で頭から落とす技はやっぱり歓迎できない。
 
スターダムでも、イオ、宝城の試合では南側席の入場口のあたりでのムーンサルトやダイビングエルボーをよくやるのだけど、正直見ていてヒヤヒヤしかしないからやめてほしいと思う。
 
この間アイスリボンで松本都も机へのボディプレスをやっていたり、藤田あかねがラダーのてっぺんからブレンバスターを食らったりと、過激なことをやるところが増えて来ている。
 
受ける側、やる側の技量もあるからなんとか成り立っていると思うけど、それをやることの意味ってなんだろうといつも思うのである。
 
それってすごいことをやっているようで、単にわかりやすいものに走っているだけなんじゃないかと思うのだ。
 
それこそ邦画でもやたらグロテスクなものを写すことがすごいみたいな変な価値観があるけど、誰が見ても嫌悪感を抱くものを出すのは表現ではないだろう。
 
それ自体に価値を見出すものもあるとは思うけど、少なくともその文脈の中で必然性がなければ、それって自己満足以外の何物でもないし。
 
だから、鈴木みのるがすごいと思うのは必殺技でゴッチ式パイルドライバーはあるけど、そのほかではインサイドワークや関節技など、変な危険技は使わずに試合を成り立たせていることである。
 
それでいて説得力のある技を出しているから、見ている方もちゃんとハラハラできる。
 
これが試合を組み立てるということで、別に派手な技をバンバン出しに行くのが組み立てではない。
 
もちろん危険でない技などない。
 
張り手一発でもあれだけ鍛えられた腕でやれば脳震盪くらいは起こせるし、場合によっては頚椎ひねってとかだってあるだろう。
 
だけど、安易なわかりやすさに走って危ない橋を渡るハラハラ感の追及には絶対に限界がある。
 
プロレスラーには長生きしてほしいし、できれば元気な姿で引退を迎えてほしいし、それを見に行くのもファンの楽しみなのである。
 
 
柴田についても、言うなれば破壊技みたいなものはない。
 
わかりやすい試合だと思うけど、そのわかりやすさは痛みを介して伝わるもので、誤解を恐れずに言えば相手が再起不能になるような技は基本的には使っていない。
 
事故も起こりにくい技を使っていると思うし。
 
それでもこういう事故が起こることもあって、それは別に相手のせいとかではなくて、事故は事故だから仕方ない。
 
それでも起こってしまうんだから、やっぱりそれを前提に見る側も受け止めるべきだし、レスラーにはどうか安易なことに走らないで、そうではない見せ方をしてほしいと思う。
 
その方が絶対面白いし、結果的に多様性が生まれることになるだろう。
 
 
なんだかまとまりのない文章になってしまったけど、私はサーカスが見たいわけじゃないし、危ない技の応酬が見たいわけでもない。
 
そこに生き様が見えるかどうかなんだ。
 
ただ危ないことをしたいだけのレスラーもいると思うから、それはそれでスタイルとして否定はもちろんしないけど、でもそれをこそ正とみなしてしまうような価値観だけはファンも含めて持たないようにしないと、また悲しい事故が起こってしまうことになる。
 
棚橋、永田、中邑がこの件でもコメントをしていたけど、結果的に彼らは誰よりもオリジナルのあるレスラーである。
 
安易なことを選ばなかったからこそだと思う。
 
見習うべきは、そういうところである。
 
四天王プロレスの4人はもう誰もリングに上がっていない現実が、一つの答えなんじゃないかと私は思う。
 
否定はしない、なんどもいうけど。
 
だけど、それは特殊なものとして受け入れないと、ダメだと思うという話た。