プロレスラーというのは実にアンビバレントな存在である。
格闘技とエンターテイメントの間にいて、リアルとフェイクの間にいる。
常に生きて帰らないといけないのに、死闘を求められる。
ぬるい技をかけあえばやらせだと批判され、危険な技を掛け合えばやりすぎだと批判される。
どうしろっていうのか、という世界だ。
まあプロレスファンはそこは理解しながらも、それぞれのプロレス観を持って見ている訳だが、対世間というとそういうわけにもいかない。
所詮世の中の大半は興味のないことに批判をすることで謎の満足感を得ることが日課だし、マスコミもそういう大衆とか呼ばれる主体性のないクソみたいな奴らの感性に乗っかることが仕事だから、これからもなくならないだろう。
先日フワちゃんがワンマッチながらプロレスに参戦、5ヶ月間の練習を経てプロレスデビューを果たしたわけだが、その試合ぶりはテレビでも放映され、珍しく好意的に受け取られた。
なぜかといえば、一つは練習の場面もしっかり放送したこともあるだろう。
もう一つはフワちゃんがしっかり技を受けていたことだろう。
攻撃って、形だけならぶっちゃけ素人でも真似できるけど、受けはちゃんと練習しないとできないからね。
そこが伝わったからこそあの評価だったのだろう。
一方で決め技になった上谷のファイヤーバードについては、フワちゃんを認めたからこそのギフトだと好意的な評価の方が多かった。
上谷にというよりはフワちゃんにだけど、プロレスの場合、新人選手に先輩選手がフィニッシュフォールドを出すのは一つの勲章という見方があるので、そういう話になるんだけど、私はちょっと不安だった。
理由は簡単で、上谷も団体ではチャンピオンだけど選手としてはまだ新人だから。
まして身体能力の高さでフェニックスなども含めて高難度の技を使うんだけど、正直この手の技はリスクも高い。
実際飯伏は自らの技で着地をミスって長期欠場を強いられているように、放つ方も受ける方もリスクが高いのよ。
フェニックスに限らず回転系の飛び技は全部そうだし、雪崩れ式もそう。
それが加熱したのが四天王プロレスだったり格闘技ブームに押されていた頃のプロレスだろう。
だからこそ棚橋の存在が結果的に革命になったわけだし、彼が今のプロレス界に置いて絶対的な地位になりつつあるのはそれが一番だ。
私は棚橋のスタイルはあまり好きではないけど、彼のやろうとしたこと、そして実現したことは実際にすごいと本当に思っている。
ともあれ、デビューまもないタレントレスラーに、まだ精度の低いレスラーに危険技をさせるのは、個人的には賛成できない。
たまたまだけど、先のタイトルマッチでフェニックススプラッシュを放った際に着地をミスり、相手選手の白川の顎のあたりに膝が当たってしまい顎骨折などで欠場となった。
上谷自身も反省の弁をSNS で上げていたが、なんだかんだ言って彼女があまり過度に責任を感じる必要もないと思っている。
もっと技の精度を上げて、もっとレベル上げていこうぜ、としかファンとしては思わない。
白川はもちろん心配だし、このところ着実に上り調子に来ていたレスラーなので欠場は残念だけど、これはこれで仕方ないというか、そういうこともあるよとしかいえないから。
こういうことも起こるということを想定した上でどういう試合を組むかだし、選手をマネジメントするかが会社としての勤めだ。
フリーランスじゃないわけだしね。
で、振り返ってタカタイチマニアで行われたデスペvs葛西である。
デスマッチルールで行われた試合で、言わずもがな葛西の土俵の中でどこまでデスペができるのかが大きな焦点だ。
私も普段はデスマッチは全くと言っていいほど見ない。
だって理解できないから。
それに夢中な人がいることもわかるし、どういうところに惹かれるのかを考えることはできるけど、観ていて楽しめるかどうかでいえば、ちょっときついんだよね。
血を見るのがきついとかじゃなくて、痛そうすぎて。
この試合もただのデスマッチなら見ないけど、私はデスペラードというレスラーが好きだし、葛西もこれだけ支持される理由には訳があって、だから見ようと言って見たんですよ。
試合自体はどう捉えるかという話にもなるけど、デスペは彼なりにデスマッチのフィールドに乗り込んでいったし、大して葛西も100%デスマッチではなくストロングスタイルのプロレスにも入り混んんでやろうという試合かなと思った。
雑誌で見るほどには凄惨な試合ではなかったけど、それでも両者の覚悟がしっかりと見える試合だったし、私がプロレスに求めている要素もしっかりあっていい試合だったよね。
ただ、既にメディアでも言われているように、この試合のハイライトは試合後のマイクだ。
葛西のマイクが最高すぎる。
デスマッチをやっている葛西がいうからこそ説得力と共にわかりやすいメッセージにもなっていると思うけど、プロレスファンが求めているものを全て著していたと思う。
シンプルなんだけどね。
プロレスラーは必ず生きてリングを降りないといけないという、ある意味では当たり前のことなんだけど、実際にリングで命を落としたレスラーも少なからずいる。
プロレスはやらせだとか結果が決まっているとか、そういうことをいう人らもいる中で、だからこそ響く言葉の含蓄がどこまで世間にも伝わるかだ。
ちなみに、このマイクの背景には試合前にデスペが言った「この試合で死んでもいい」という言葉へのアンサーでもあったんだけど、なんで葛西がカリスマなのかといえば、この言葉に集約されているといっていいだろう。
毎回死ぬかもしれないと思ってリングに上がっているだろう、でも本当に死んでしまったら誰も楽しめないじゃないか。
同時に誰かを殺してしまうかもしれないという覚悟だって等しくあるだろう。
齋藤彰俊がどれだけ苦しんだかなんて、想像するまでもないだろう。
誰が金を払って人が死ぬ様を見たいのか、少なくともプロレスファンが求めているのはそんな死ぬ姿ではなく、どんな状況でも立ち上がることだし、たとえ負けてもそこから這い上がる姿である。
私自身のプロレス観自体、プロレスは人生だというところなので、死んでしまっては困るのだ。
それは肉体的にも精神的にもね。
つい先頃、大怪我を負って欠場、容態的にももう復帰は難しいかと思っていた柴田勝頼が、海外のリングでタイトルマッチで復帰した。
どこまで本調子といえるかという問題はあるけど、少なくともアメリカンマッチはできるくらいまで復活した。
これはすごいことなんだよ、私はずっと柴田のファンなので、こうやってまたリングに上がる姿って、嬉しいのよ。
プロレスファンとしては、レスラーは絶対に生きてリングを降りないといけないと思っているし、その姿以外見たくない。
勝った負けたはいっときの話、生きていれば次は勝つかもしれないからね。
そんな姿を見ているのがいいんですよ、プロレスは。
葛西はやっぱりカリスマだし、デスペはますますいいレスラーになっていくだろう。
白川は早く回復してまた暴れまくってほしいし、上谷はここを乗り越えてさらにレベルを上げる以外にない。
ここで芋引いてたら白川もファンも上谷自身も救われないままだから、本当に頑張ってほしいよね。
柴田は無理はしないでねと思う一方で、その生き様をまた見せてほしいと思う。
高山の回復はずっと待っているし、大谷もそうだよ。
人生の大半は理不尽だし、その時々の状況で勝敗も左右される。
実力だけじゃどうにもならないし、持って生まれたものには勝てない。
でも、持っているものでどう勝負するかが人生だから、そんなことを考えつつ、プロレスに励まされながら、明日も生きていくだけである。