続・論理プロレス論考

観戦の感想、レスラー個々、そしてプロレスを見る私と、様々な角度からあれこれプロレスを語りたいブログ

プロレス的な懐

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暴力事件で謹慎処分となっていたつくしが大晦日の後楽園大会で復帰することが発表された。
 
相手はつっか、トップ自らが勤めることになった。
 
毎年アイスリボンは後楽園大会を大晦日に開催しており、そこでは結構豪華なカードを揃えるのだけど、今年はそうしたラインの中にシリアスな意味合いの試合を組み込んで来た。
 
プロレスは薬で捕まったやつなんかもリングにあげるので、そうした習慣というか風土というか、そういうものがしばしば批判を浴びる。
 
今回の件についても警察沙汰なので、それなりに社会的には重たい自体だし、プロレスのパブリックメージにもネガティブに影響したことは間違いない。
 
以前世IV虎が試合中にアクトをボコった際にも非常に話題になってしまったが、今回もyahooトップに出たりして、やっぱり話題になってしまった。
 
そうしたことがあると、そうしてリングにあげることをものすごく批判的に捉える人がいて、その心理は分かる。
 
だけど、一方でそうした失敗を受け入れる土壌があるのはプロレスの懐の深さだと思っている。
 
 
いいか悪いかで言えば悪いことをしたのは確かだ。
 
だけど、その全てが同じ次元で語れるべきではないし。
 
それこそ殺人とかレイプとか、そういうのはダメである。
 
それはやっぱり一定のラインはあるけど、例えば若い子の感情の不安定さで起こしてしまった事故は、ともすれば失敗として受け入れてあげるべきこともある。
 
その一つの例がつくしである。
 
まだ10代と若い中で起こした失敗で、それを理由に社会的に抹殺されるようなことは個人的にはよくないと思うし、こうして表舞台に改めて立つということ自体が大きな禊だと思うし。
 
それに、プロレスにはわかりやすく痛みがある。
 
そしてその痛みにさらされるがゆえにより本人の気持ちも見えるのである。
 
プロレスはヤラセだ、演劇だ、エンタメだと言われることについては、別にプロレスファンも何も言わない。
 
なぜなら、その上彼彼女が何を見せるのか、そこが重要だからだ。
 
ギブアップすれば試合は終わる、3カウントを聞けば試合は終わる。
 
それを迎えるまでに、何を見せるのかが重要だし、そこに気持ちがあるからそれを受け取るのである。
 
それを見せるためのチャンスを与える度量くらいは持っているのがプロレスファンである。
 
 
新日本プロレスのここ数年の快進撃はとてもすごいことだし、その余波もあって全体として勢いついて来ているのが今だと思うし、その全てのファンが同じ目線で見ているかと言えばそういうわけではないと思う。
 
だけど、こうして受け入れられる背景には、そういう人生の失敗に対する許容性みたいなものが刺さっているところはすくなからずあるんじゃないかな、なんて思う。
 
一度失敗して社会から外されると、もう2度とチャンスがないかのようなムードが今の社会にはあるけど、本当はそんなことはないはずである。
 
失敗しても巻き返せるチャンスがいっぱいあるし、よほど取り返しのつかないことでない限り、ちょっとの失敗なんていかようにもなるはずである。
 
それが実社会では常に後がないように思ってしまう人もいるけど、仮に失敗しても、そこから批判を浴びる覚悟で前に出れば、認めてくれる人がほとんどなんじゃないかなと思っている。
 
そうあってほしいとも思うしね。
 
 
この試合でつくしが何を見せるのか、あえてつっかが今年最後の試合で相手を務める意味を考えても、つっかの責任の取り方という側面もあると思うし、つくしに対する期待値というところもあると思う。
 
あるいは団体内に対しては、トップ自らが甘えを許さない、という姿勢を見せる目的もあるだろう。
 
そういうところがつっかは本当にすごいと思うんだけど、普通の会社だったとしても、上司としてのあり方が素晴らしいと思う。
 
 
ともあれ、つくしはその才能は圧倒的だし、このまま潰れてしまうのはやっぱり勿体無い。
 
やってしまったことについては反省すべきはすべきだし、だけどそれにいつまでも囚われているべき年齢でもない。
 
だからこそ、この大晦日でつっかにはしっかり頑張ってもらって、禊を果たしてもらいたいよね。
 
みんなが見ている中で、もういいだろってくらいやってこそである。
 
やったことを影でいつまでもぐちぐち言っているのはカッコ悪いし、何も産まない。
 
プロレス的な見せ方が全て正解だとは思わないけど、影で言っているよりははるかにマシだ。
 
そういう懐の深さが、もっと社会にもあっていいと思うよね。